海と山を臨むプラットフォーム
敷地は「日本列島改造論」に沸く高度経済成長期に開発され、團伊玖磨が愛した美しい海と山を借景に望む小高い丘の中腹。
近景に桜、中景に海、遠景に富士山を望む、素晴らしい眺望ポテンシャルを有していた。
一方で、海へと向かう急傾斜地で、前面道路を含め「どこもかしこも斜面」と言う、設計的にも建設的にも困難な地形的環境にあった。
この斜面にクライアントが望む暮らしをどのように定着し得るか。
建築としてはそれが一番の課題となった。
クライアントのリクエストは明快で「敷地のポテンシャルを建築によって最大限に引き出す」こと。
できる限り高い位置から海と山を眺められることと、暮らしの主舞台である2階をなめらかに地面へと接続すること。この真っ向から相反する目標を実現するため、建築的に最適な空間配列と地面と床の関係性を見出すことに時間を費やした。
斜面と直接接する1階は鉄筋コンクリート造として暮らしを湿気から守り、展示空間としても活用できる木質階段は、踊り場から上が軽快な鉄骨階段へと切り替わって2階へと至る。
木造で組み上げられた2階は空中高く持ち上げられた展望台のような居場所でありながら、前面道路からなめらかにアクセスできるよう設えられている。
また、相互に関係する空間ボリュームが平面的に45度の角度で振れているため、屋根の掛け方によって「複雑に絡み合う暮らしに秩序を与える」ことを目指した。
これらの結果、この地ならではの空間と時間の質を引き出す「プラットフォームとしての建築」のあり方を、地形に寄り添いながら描き出すことが出来たのではないか、と考えている。
完成した空間に身を置いてみて、その眺望のあまりの非日常性に心が震えた。
時の経過とともに光の質が移り変わり、夕陽が海の向こうに沈む姿を眺めながら、この空間と時間の中に暮らすことの唯一無二性を実感した。
この建築によってこの地の新たな魅力と価値を引き出すことが出来ているとすれば、それは建築家冥利に尽きると言える。